そんな中、新たな報道が出て世間を騒がせていた。私がその報道を知ったのは、学校帰りに立ち寄ったコンビニにある週刊誌を見たからだ。『赤坂。佳乃が既婚者と知って不倫を持ちかけた熱い夜』その雑誌を握る手は震えていた。さすがに、赤坂さんはそんなことをする人じゃない。適当な嘘を平気で書くマスコミに怒りがこみ上げてきた。きっと、今一番傷ついているのは、赤坂さんに違いない。『仕事がキャンセルされ開店休業状態。COLORも解散危機!』赤坂さんを悪者に仕立てるなんて最低だ。雑誌を戻して外に出る。夕方なのに蒸し暑くて初夏を思わせる季節の中、私は赤坂さんのマンションへ走って向かった。途中で心臓が苦しくなって額に汗を浮かべつつ立ち止まる。その後は体調に気をつけてゆっくり歩いた。赤坂さんのマンションへ辿り着くと、ものすごい数の報道陣が待ち受けていた。恐ろしくなって踵を返す。私が赤坂さんと友人関係なのは誰も知らない事実だから、追いかけられることはないけど怖くなった。少し歩いて離れた場所についた時、私は赤坂さんのことが心配になって電話をした。電柱に寄りかかって呼吸を整える。五コール鳴ったところで電話に出てくれた。「赤坂さん……大丈夫? マンションすごいいっぱいマスコミが」『久実、来てくれたの?』久しぶりに赤坂さんの声を聞いた。元気そうに振舞っている。無理をしているのだろう。「……心配になって」『大丈夫。ホテルに泊ってる。缶詰状態。……ってか、久しぶりだな』「……うん」『受験勉強、頑張ってるか?』いつも通りに話してくれる。赤坂さんにとって私は赤坂さんが勇気づけるだけの対象なのだろうか?私は赤坂さんを元気づけることはできないのかな……。空を見上げると太陽は沈み薄暗くなっていた。本当はこんな道端で電話している場合じゃないけど、赤坂さんのことが心配だった。「ホテル……どこなの?」『は?』「明日、休みだから会いに行く」『…………マジで?』「受験生だって息抜きしたいの」『………△△ホテル。ロビーに着いたら電話くれ。何時頃になる?』「お昼くらい」『了解。つーか、俺の居場所、誰にもバラすんじゃねぇーぞ』「当たり前でしょ! じゃあね」電話を切ると私は深い溜息をついた。
次の日の朝。台所でお弁当を作っていた。「あら、どーしたの?」お母さんが不思議そうな顔をして尋ねてきた。「友達と公園ランチするの」はじめて嘘をついた。「あ、味見して?」煮物の人参を菜箸で取ってお母さんに渡す。あっついと言いながら食べた。「美味しいじゃない」「よかった」自分の分は薄めに作り、赤坂さんのは少し味をつけた。ホテルのご飯だけだと飽きてしまうだろうと思って。ありがた迷惑かもしれないけれど……好きだと思う人の喜ぶ顔が観たかった。「外、暑いから気をつけるのよ」「うん。日陰で食べる。あまり長く外にいないようにするから」「最近は、苦しくなることない?」走ったせいで苦しくなったことは言わないでおこう。余計な心配をかけたくないから。「大丈夫。ありがとう」惣菜を弁当箱に詰めつつ、お母さんに返事をした。いつも作ってくれるお母さんの苦労が少しわかった気がする。「よし、できた」バッグに入れて外出準備をして玄関に向かう。お母さんが近づいてきて「気をつけなさいね」と言ってくれた。サンダルを履いて立ち上がった私はお母さんを見つめた。「いつもお弁当作ってくれてありがとう。行ってきます」
教えてくれたホテルに向かう途中。どうやったら赤坂さんを励ませるのかと考えていた。気張る必要はない。いつも通り接しようと思っていた。たとえ……赤坂さんがCOLORを辞めさせられたとしても、私はいつまでも彼のファンで居続ける。そんな決意だった。電車を乗り継いで到着したホテルは豪華な外観の一流ホテルのようだった。ホテルのロビーに入るのも躊躇してしまい、外で電話をかけた。教えられた部屋番号になんとか辿り着いた私は、Tシャツにショートパンツと言うラフな格好をしたことに後悔をしていた。だって立派すぎるんだもん。このホテル……。チャイムを押すと扉が開いた。中から出てきた赤坂さんは、にこっと笑って招き入れてくれた。顔を見るだけで込み上げてくるものがあったけど、我慢して笑顔を作った。「お邪魔しますー」ベッドとテーブルと椅子しかないシングルルームだった。荷物が散らかっている。「椅子に座って」言われた通り私は椅子に座らせてもらった。赤坂さんはベッドに腰をかけて私を見つめる。「ボブにしたんだ」「……あ、うん」赤坂さんに恋人ができたと知ってショックを受けて切ったなんて言えない。「似合う。すごく可愛い。大人っぽくなったし」「ありがとう」お世辞だとわかっていても恥ずかしくて、顔に熱が集中する。顔を仰ぎたい衝動に駆られた。「俺の報道、知って驚いただろ?」自嘲気味に言ってクスッとうつむいて力なく笑っている姿を見ると胸の奥がズキンと痛んだ。「もう……久実に呆れられて連絡も来ないかと思った。お前って生粋のファンなんだな」「……だって、赤坂さんが結婚している人に手を出すなんてありえないって思ったもん。きっと、真剣に佳乃さんのことを好きになったんだよね。何か事情があって結婚している人を好きになったんだと思う」赤坂さんは立ち上がって窓のほうに行く。そしてビルで囲まれた景色を見ていた。「結婚しているって知らなかったんだ。だから……本気で愛してた」好きな人の恋愛話を冷静な顔で聞くのは心臓に悪い。切なくてとても苦しい。
「俺と佳乃の密会を撮られて……佳乃の周りにもいろいろ取材が入り、結婚していて子どもいることがバレたんだ。佳乃は十七歳で子どもを産んでいたんだって。その事実を事務所が隠していたらしい」こちらに向いて窓に背をつけたまま腕を組んでいる赤坂さん。「佳乃は謝っていた。気がつけば恋に落ちていましただってさ。笑えるだろ? 子どもの母親失格だよな」笑いながら投げ捨てるように言っているけど、心には深い傷を負ったに違いない。「まぁ……子供がいても誰かのことを好きになることは否定しないけどさ。でも俺は自分に守る存在がいるなら、たとえ恋をしてもその心は押し殺して大事なものを守る」「そういうと思った」「しまいには俺のせいになってる。佳乃の事務所は力があるからな」「……COLORは解散しないよね?」「わからない。するつもりはないけど」「赤坂さんのファンがいなくなっても、私一人になっても応援し続けるから。負けないで」どうしてなのかわからないけど涙ぐんでしまう。赤坂さんは近づいてきて頭を撫でてくれた。「ありがとな。久実」優しい笑顔を向けられると、胸にある恋心がどんどん膨れ上がっていく。いつか破裂してしまわないか非常に心配だ。気持ちを落ち着かせようと話題を変える。「あのね、ホテルのご飯だと飽きちゃうと思ってお弁当を作ってきたの。あまり自信ないけど食べてみて」「マジで? ……気遣いが嬉しい」紙袋からお弁当箱を取り出してテーブルに置く。そして蓋を開いて見せると赤坂さんは「すげぇウマそう」と言って笑ってくれた。テーブルをベッドに寄せて赤坂さんはベッドに腰をかけた状態で食べることにし、箸を渡す。「いただきます」どんどん食べ物が口の中へ消えていく。彼女になれなくてもいいから、こうしてたまに二人きりで過ごせる時間があればいい。赤坂さんが赤坂さんらしく、元気に暮らしてくれたら私も幸せだ。「マジでうまいわ」「よかったら私の分もどうぞ。私のやつは味が薄めになってるけど」「サンキュー」彼は綺麗に食べ終えた。「ごちそうさま」「いえいえ」「たっぷりお礼しないとな」「いいよ、そんなの。たまには甘えてください」赤坂さんは力なく笑った。苦しみを少しでも減らしてあげたいよ……。
赤坂side久実が作ってくれた弁当に舌鼓を打ち、満腹になった。外に出てふらふらするわけにも行かずベッドで枕を腰に当てて並んで座り、映画を見ていた。肩に重みを感じて隣を見ると、眠っている久実。安心しきった顔だ。そんな無防備な姿を見て俺は自然と笑顔があふれてくる。スキャンダルがあり、仕事をキャンセルさせられて、しまいにはホテル暮らし。愛していた女は子どもと夫もいて、精神的にかなりダメージを受けていた。そんな毎日だったから、笑うことも忘れていたのだ。久実に連絡をしていなかったのは、あえてそうしていた。俺を大好きだとずっと言ってくれていたファンの声を聞くのが怖かった。しかし、久実は俺を励ましてくれた。「こいつはファン以上の存在だな……」少なからず応援してくれている人がいることを忘れていた。俺は一人じゃない。堂々とメディアに俺の気持ちを伝えるべきなのではないだろうか。逃げていてはイケない。そんな気持ちにさせてくれたのは久実だ――。隣に眠る久実をそっと横にした。疲れていたのかもしれない。俺はベッドから降りて久実を眺める。……ずいぶんと露出が激しい。Tシャツにショートパンツ。胸の膨らみがはっきりとわかって、薄っすらとブラジャーの形が浮き上がっている。そして、ショートパンツから伸びている太腿。スラーっと綺麗な足をしていて爪にはピンクのマニュキアが塗られている。視線をもう一度上に動かしていくと、胸が呼吸のたびに動いていて首筋にじんわり汗をかいているのが妙に色っぽく見えた。「……大人になったんだな……。いい女じゃん」あんなに小さかったツインテールの女の子が、女子高生になったなんて時の流れを感じる。少し空いた唇を見てドキッとした。女だからって誰でもいいわけじゃないのに、こんな気持ちになるなんて。俺のために尽くしてくれる女――。いつも笑顔で俺を支えてくれる。おまけに純粋で可愛い……。
自分の中にある小さな粒がどんどん膨れ上がっていくのを感じ、恐怖心が芽生えてきた。――あれ、俺が好きだったのは佳乃なのに。どうして、久実を見ると胸がこんなにも熱くなるのだろうか。まじで、勘弁してくれって俺。きっと、感情のコントロールができなくなっているだけだ。冷静になれ。相手はまだ十代なんだから駄目だ。目をふっと覚ました久実はここがどこなのかわからないようで、目をキョロキョロさせている。顔を覗き込み「よく眠ってたな」と言うと、にこっと笑った。「……なんだ、夢かぁ」「は?」「赤坂さん」寝ぼけている久実は両手を伸ばして俺を引き寄せる。抱きしめる形になった。柔らかい胸が押し潰れるほど強く抱き合う。「大好き」「………………」心臓が止まりそうになるほど驚いて、言葉を失ってしまった。俺の鼻に通り抜ける久実のシャンプーの香りがさらに心臓の鼓動を加速させる。このまま理性を失いそうになった。「……おい。久実、離せ」「……ん?」ぼんやりとした顔で俺を見た。次の瞬間「変態っ」と叫びだした。その声に俺はびっくりして離れた。久実はベッドの上で顔を真っ赤にして端に行った。絶対勘違いしてる……。「おいおい、抱きついてきたのは久実なんだけど。マジで勘弁してくれって」「え? わ、私……?」恥ずかしそうにしている姿を見ると、まだまだ子どもなのだと実感する。「あぁ」「寝ぼけていたのかも。変なこと言ってなかった?」「言ってたかもしれないけど。よくわかんなかった」もしも、この想いが本物だとしても久実が二十歳まで待とうと思った。「ごめんなさい」「別にいいけど。あまり無防備なことしてると襲われるぞ。身体は大人なんだから」「はい……」*数日後。記者会見を開いてもらい、俺は堂々と答えた。卑怯な質問をしてくる奴らにも、俺は怯まないでしっかりと受け答えをする。俺は悪いことを何一つしていないのだ。テレビの向こうで応援してくれている人がいる。そして――久実も、俺を応援してくれているのだ。COLORメンバーも事務所大澤社長も、所属タレントも、いる。俺は一人じゃない。たくさんの勇気をくれた久実に、感謝しながら記者会見を終えた。
4 ―恩人―久実二十歳 赤坂二十六歳 久実side短大生になり、あっという間に時が流れてもう十一月。秋風が冷たくて、心が折れそうになる。人恋しい季節なのかな。こんな私にも彼氏ができて今日はデートの待ち合わせをしている。と言っても付き合ってまだ一週間。一ヶ月前から好きだと言われ続けて、悩んで悩んで付き合うことにした。付き合うことを決めた理由は、いつまでも赤坂さんに片想いしているわけにいかないから。違う大学に行った朋代からも付き合う経験をしたほうがいいと言われて決意した。駅で待っているとデジタル広告が目に入り、赤坂さんが映っていた。カメラのコマーシャルに出ている。赤坂さんには彼ができたことを伝えていない。本当は、赤坂さんのことが好きだ。男として、赤坂さんのことを……心から愛している。間違えても伝えてはイケない思いだけれど。彼には病気のことをまだ伝えていない。今日は彼との初デートだし、しっかり伝えようと思っている。いつまでも隠しておけない。カミングアウトするなら、早いほうがいいだろう。怖いけれどしっかり言えば理解してくれるよね……。同じ短大の彼。爽やかなイケメンで話し方も優しくて、いい人だと思う。きっと、私はこれから幸せになっていける。「お待たせ。じゃあ、行こうか」目の前に現れた彼は、さっと手を繋いだ。はじめての経験に心臓が激しく動いている。顔が熱くて耳がひりひりする。たくさん人が歩いているのに、手を繋ぐなんて恥ずかしい。頭一つ分大きな彼。この人が自分の恋人なのかと思うとなんだか、すごい違和感だ。グレーのコートに黒いマフラー。どこだかわからないけどブランド品のようだ。センスのいい彼で安心する。近づくといい香りがしてすごく清潔感にあふれている気がした。「俺の彼女になってくれてありがとう。はじめて見た時から可愛い子だなって思ってたんだ」少し歩きながらそんなことを言われた。微笑まれると、どんな風に接していいかわからない。ぎこちなく微笑み返す。「ありがとう」「まずはランチしよう」グイグイ引っ張ってくれる人は好き。きっと、病気のことも理解してくれて長く付き合えるよね。連れて来てくれたのは、若い世代のカップルが集まっているスタイリッシュなカフェ。「俺、オススメはこれ」とメニュー表に指をさして教えてくれた。
「あれ、具合悪いの?」「いろいろあって」「ダイエットとか?」「……いや」なかなか言えなくて苦しい……。いつまでも隠しておけないのはわかっているけれど、言えない。「すげぇ細いじゃん。もっといっぱい食べて太らないと」「…………うん」気を使って優しい言葉をかけてくれる彼に対して、嘘をついている気がして申し訳ない気持ちになった。こんな気持ちのままお付き合いしていいのだろうか。しばらく無言になり、紅茶を飲んで会話を探していた。「まだ大丈夫なら少し景色のいいところ行かない?」「はい。ぜひ」「よし、行こう」連れて来てくれたのは高層タワー。東京を一望できるデートスポット。彼は女の子慣れしているみたいだ。私なんかでいいのだろうか。人も車も豆粒に見える。男の人と出かけるなんて経験がないから躊躇してしまう。どんな会話をすればいいのだろうか。だんだんと夕日に染まっていく空。街にはだんだんと灯りが灯っている。タイムリミットが近づいてくるのだ。早く言わなければ……。私は彼の方を向いた。穏やかな顔で景色を見下ろしている。息をゆっくり吸い込んで気持ちを落ち着かせた。あれほどまでに好きだとアタックしてくれたのだから、きっと大丈夫。付き合おうと決めた人を信じようと思った。「あのね。言ってないことがあるんです」景色を見ていた彼が、こちらを向いた。「ん? なに? なんでも言って」私は一つ、コクリと頷いた。「……私、心臓の病気があるんです……」「…………え?」予想以上に驚いた顔をされたから、どんな言葉を続ければいいかわからなかった。急に恐怖心に襲われる。彼は、どんな言葉を投げかけてくるのだろう。震える身体。怖くて心臓がドキドキと奇妙なリズムを刻んでいた。「じゃあ……そういうことできないの?」予想外の質問に答えを返せない。年頃の男女なのだからそういう関係になってもおかしくはない。だけど、大事なことを打ち明けたのに一番に聞かれたのがそれだったのは、ショックだった。――体調は大丈夫なの?とか、――長く生きられるの?とか。私をいたわるようなことを言ってくれるのだと思っていた。
「赤坂さんのことが好きでも……両親の言うことを聞かなきゃって思って」「ってかさ、なんで早く言わなかったんだ?」苛立った口調に怖気づきそうだった。「考えて悩んで……私もそう思ったから。それに、これ以上迷惑をかけちゃいけないって思ったの」「迷惑だと? ふざけんじゃねぇぞ」乱暴に私を抱きしめた。赤坂さんの胸に閉じ込められる。かなり早い心臓の音が聞こえてきた。「俺のこと信じろって」「赤坂さん。ごめんね」「バカ」涙があふれ出し、私は赤坂さんにしがみついた。赤坂さんはもっと強く私を抱き止めてくれる。「でも、好きな気持ちには勝てなかったの」「………」体を起こしてキスをされた。すごく優しいキスに胸が疼く。私のボブに手を差し込んで熱いキスに変わっていく。舌が絡み合い、濡れた音が耳に届いた。唇が離れると赤坂さんは今までに見たことない瞳をしている。「久実、愛してる」「……私も、赤坂さんのことが好き」「俺もだ」「今まで本当にごめんなさい」「大好きっ、赤坂さん、大好き」「うん。俺も」私も赤坂さんのために自分のできる限り尽くしたいと思った。守ってもらうだけじゃなくて、守ってあげたい。頭を撫でられて心地よくなってくる。「両親に認めてもらえるように……頑張るから」赤坂さんはつぶやいた。だけど、すごく力強い言葉に聞こえた。「近いうちに会いに行きたい」「うん………」「やっぱりさ、思いをちゃんと伝えて理解してもらうしかないから」「そうだね……」「俺はどんなことがあっても久実を離さないから。覚えてろよ」頼もしい赤坂さんに一生着いて行く。私は赤坂さんしか、いないから。きっと、大丈夫。絶対に幸せになれると思う。私は赤坂さんのことが愛しくてたまらなくて、自分から愛を込めてキスをした。エンド
そして、四日になった。前日から緊張していてあまり眠れなかった。化粧をして髪の毛をブローした。リビングにはお母さんがいて、テレビを見ていた。「友達と会ってくるね」「気をつけてね」「行ってきます」家を出ると、まだ午前の空気は冷たくて、身震いした。手に息を吹きかけて温める。電車に向かって歩く途中も緊張していた。ちゃんと、思いを伝えることができるといいな……。赤坂さんに恋していると気がついたのはいつだったんだろう。かなり長い間好きだから、好きでいることがスタンダードになっている。できることなら、これから一生……赤坂さんの隣にいたい。マンションに到着し、チャイムを押すとオートロックが開いた。深呼吸して中へ入った。エレベーターが速いスピードで上がっていく。ドアの前に立つといつも以上に激しく心臓が動いていた。チャイムを押すと、ドアが開いた。「おう」「お邪魔します」赤坂さんはパーカーにジーンズのラフな格好をしているが、今日も最高にかっこいい。私は水色のセーターとグレーの短めのスカート。ソファーに座ると温かい紅茶を出してくれて隣にどかっと座った。足はだいぶ楽になったらしくほぼ普通に過ごせているようだ。「久実が会いたいなんて珍しいな」「うん……。話したいことがあって」すぐに本題に入ると、空気が変わった。赤坂さんに緊張が走っている感じだ。「ふーん。なに」赤坂さんのほうに体ごと向いて目をじっと見つめる。何から言えばいいのか緊張していると、赤坂さんはくすっと笑う。「ったく、何?」緊張をほぐそうとしてくれるところも優しい。赤坂さんは人に気を使う人。「私……、赤坂さんのことが好きなんです」少し早口で伝えた。赤坂さんは顔を赤くしているが、表情を変えない。「うん……。で?」「好きなんですけど、交際するのを断りました。その理由を話に来たんです」「……そう。どんな理由?」しっかり伝えなきゃ。息を吸って赤坂さんを見つめた。「両親に反対されています」「え、なんで?」「赤坂さんは恩人ですから……。 だから、対等じゃない……から……」頭の後ろに片手を置いて困惑した顔をしている。眉間にしわを寄せて唇をぎゅっと閉じていた。
年末になり、赤坂さんは仕事に復帰した。テレビで見ることが多くなり、お母さんと一緒に見ていると気まずい時もあった。四日に会う約束をしている。メールは毎日続けているが会えなくて寂しい。ただ年末年始向けの仕事が多い時期だから、応援しようと思っている。私も年末年始は休暇があり、仕事納めまで頑張った。そして、両親と平凡なお正月を迎えていた。こうして普通の時を過ごせることが幸せだと、噛み締めている。今こうしてここにいるのも赤坂さんと両親のおかげだ。心から感謝していた。『あけましておめでとうございます。四日、会えるのを楽しみにしています』赤坂さんへメールを送った。『あけおめ。今年もよろしくな。俺も会えるの楽しみ』両親が反対していることを伝えたら赤坂さんはどう思うだろう。不安だけど、しっかりと伝えなきゃいけないと思った。
「……美羽さん。ありがとうございます」「ううん」「私も赤坂さんを大事にしたい。ちゃんと話……してみます」「わかった」天使のような笑顔を注いでくれた。私も、やっと微笑むことができた。「あ、連絡先交換しておこうか」「はい! ぜひ、お願いします」連絡先を交換し終えると、楽しい話題に変わっていく。「そうだ。結婚パーティーしようかと大くんと話していてね。久実ちゃんもぜひ来てね」「はい」そこに大樹さんと赤坂さんが戻ってきた。「楽しそうだね」大樹さんが優しい声で言う。美羽さんは微笑んだ。本当にお似合いだ。「そろそろ帰るぞ久実」「うん」もう夕方になってしまい帰ることになった。「また遊びに来てもいいですか?」「ぜひ」赤坂さんが少し早めに出て、数分後、私もマンションを出た。赤坂さんとゆっくり話すのは次の機会になってしまうが、仕方がない。本当は今すぐにでも、赤坂さんに気持ちを伝えたかった。二日連続で家に帰らないと心配されてしまうだろう。電話で言うのも嫌だからまた会える日まで我慢しようと思う。私は、そのまま電車に向かって歩き出した。
急に私は胸のあたりが熱くなるのを感じた。「占いがすべてじゃないし、大事なのは二人の思い合う気持ちだけど。純愛って素敵だね」私が赤坂さんを思ってきた気持ちはまさに純粋な愛でしかない。「一般人と芸能人ってさ……色んな壁があって大変だし……悩むよね。経験者としてわかるよ」「…………」「でも、好きなら……諦めないでほしいの」好きなんて一言も言ってないのに、心を見透かされている気がした。涙がポロッと落ちる。自分の気持ちを聞いてほしくてつい言葉があふれてきた。「赤坂さんに好きって言ってもらったんですけど、お断りしたんです」「どうして……?」「心臓移植手術が必要になって、多額な金額が必要だったんです。赤坂さんが費用を負担してくれて私は助かることが出来ました。両親が……」言葉に詰まってしまう。だけれども、言葉を続けた。「対等な関係じゃないからって……。お父さんが、財力が無くてごめんと言うので……」「ご両親に反対されてるのね」深くうなずいて涙を拭いた。「私を育ててくれた両親を悲しませることができないと思いました。それに、健康じゃないので赤坂さんに迷惑をかけてしまうので」うつむいた私の背中を擦ってくれる美羽さん。「そっか……。でも、赤坂さんは、誰よりも久実ちゃんの体のことは理解した上で好きって言ってくれたんじゃないかな」「…………」「赤坂さんに反対されていることは言ったの?」「いえ……」「久実ちゃんも、赤坂さんを大事に思うなら。赤坂さんに本当のことを言うほうがいいよ。赤坂さんはきっと傷ついていると思う。好きな人に付き合えないって言われて落ち込んでるんじゃないかな」ちょっときついことを言われたと思った。だけど、正しいからこころにすぅっと入ってくる。美羽さんは言葉を続ける。「久実ちゃんがね、手術するために日本にいない時に……。さっきも言ったけど、私、大くんと喧嘩しちゃって赤坂さんに相談に乗ってもらったことがあったの。その時から、久実ちゃんのことを聞かせてもらっていたの。赤坂さんは心底久実ちゃんを好きなんだと思うよ」必死で私をつかまえてくれる。赤坂さんの気持ちだろう。痛いほどわかるのだ。なのに勇気がない。私は、意気地なしだ。でも、このままじゃいけないと思った。勇気を出さなければ前に進めないと心が定まった。
楽しく会話をしながら食事していた。食べ終えると、大樹さんは赤坂さんを連れて奥の部屋に行ってしまう。美羽さんが紅茶とクッキーを出してくれた。二人並んでソファーに座る。部屋にはゆったりとした音楽が流れていた。自然と気持ちがリラックスする。しばらく、他愛のない話をしていた。「赤ちゃんがいるの」お腹に手を添えて微笑んでいる美羽さん。まるで天使のようだ。「安定期になるまでまだ秘密にしてね」「はい……。あの、体調大丈夫ですか?」「うん。妊婦生活を楽しんでるの。過去にできた赤ちゃんが帰ってきた気がする」美羽さんは、過去の話をいろいろと聞かせてくれた。辛いことを乗り越えた二人だからこそ、今があるのだと思う。気さくで優しくてふんわりとしていて本当にいい人だ。紫藤さんは美羽さんを心から愛する理由がわかる気がする。私は心をすっかり開いていた。「赤坂さんのこと……好きじゃないの?」「え?」突然の質問に動揺しつつ、マグカップに口をつけた。「いい人だよね、赤坂さん。きついことも言うけど正しいから説得力もあるし」「……」「実は 夫と喧嘩したことがあってその時に説得してくれたのも 赤坂さんだったの」「 そうだったんですね」「二人は……記念日とかないの?」「記念日なんて、付き合ったりはしていないので」「はじめてあった日とか……。何年も前だから覚えてないよね」ごめんと言いながらくすっと笑う美羽さん。初めて赤坂さんに会った日のこと――。子どもだったのに鮮明に記憶が残っている。まさか、あの時は恋をしてしまうとは思わなかった。こんなにも、胸が苦しくなるほどに赤坂さんを愛している。「ねえ、果物言葉って、知ってる?」「くだものことば? 聞いたことないです……」「誕生花や花言葉みたいなものなの。果物言葉は、時期や外観のイメージ・味・性質をもとに作ったもので……。果物屋の仲間達が作ったんだって」「はぁ」美羽さんは突然何を言い出すのだろう。ぽかんとした表情を浮かべた。「あはは、ごめん。私フルーツメーカーで働いていたの。なにかあると果物言葉を見たりしてさ。基本は誕生日で見るんだろうけど……記念日とかで調べて見ると以外に面白いの」「そうなんですか……」「うん。大くんと付き合った日は十一月三日でね、誕生果は、りんご。相思相愛と書かれていて……。会わな
タクシーで向かうことになったが、堂々と二人で行くことが出来ないので別々に行く。大スターであることを忘れそうになるが、こういう時は痛感する。二人で堂々と出掛けられないのだ。……切ないな……。美羽さんは大樹さんと結婚するまでどうしていたのだろう。途中で手ぶらなのは申し訳ないと思いタクシーを降りた。デパートでお菓子を買うと、すぐに違うタクシーを拾って向かった。教えられた住所にあったのは、大きくて立派なマンションだった。おそるおそるチャイムを押す。『はい。あ、久実ちゃん。どーぞ』美羽さんの声が聞こえるとオートロックが開いた。どのエレベーターで行けばいいか、入口の地図を確認する。最上階に住んでいる大樹さん夫妻。さすがだなーと感心してしまう。エレベーターは上がっていくのがとても早かった。降りるとすぐにドアがあって、開けて待っていたのは美羽さんだった。「いらっしゃい」微笑まれると、つられて笑ってしまう。「突然、お邪魔してすみません。これ……つまらないものですが」「気を使わないで。さぁどうぞ」中に入ると広いリビングが目に入った。窓が大きくて太陽の日差しが注がれている。赤坂さんはソファーに座っていて、大樹さんは私に気がつくと近づいてきた。「ようこそ」「お邪魔します」「これ、頂いちゃったの」美羽さんが大樹さんに言う。「ありがとう。気を使わないでいいのに」美羽さんと同じことを言われた。さすが夫婦だなって思う。赤坂さんも近づいてきた。「遅いから心配しただろーが」「赤坂さん。ごめんなさい」「一言言えばいいのに」一人で不安だったから、赤坂さんに会えて安心する。「さぁランチにしましょう」テーブルにはご馳走が並んでいた。促されて座る。私と赤坂さんは隣に座った。「いただきます」「口に合うといいけど」まずはパスタを食べてみた。トマトソースがとっても美味しい。「美味しいです。美羽さん料理上手なんですね」「とんでもない。大くんと出会った頃はカレーライスすら作れなかったんだよ」「そう。困った子だったんだ」見つめ合って微笑む二人がとても羨ましい。いいなぁ。私も赤坂さんとこうやって過ごせたら幸せだろうなぁ。
「妹が置いていった服ならあるけど。サイズ合うかな」「勝手に借りていいのかな?」「心配なら聞いてやるか」スマホで電話をはじめる。「あ、舞? 久実に服貸していい?」『えー! 家にいるの? 泊まったってことは、えーなに? 付き合ってるとか~?』ボリュームが大きくて話している内容が聞こえてしまう。「付き合ってくれないけど、まぁ……お友達以上だよ。じゃあな」お友達以上だなんて、わざとらしい口調で言った赤坂さんは、得意げな顔をしている。「……じゃあ、お借りするね」黒のニットワンピース。着てみるとスカートが短めだった。ひざ上丈はあまり着たことがないから恥ずかしい……。着替えている様子をソファーに座って見ている。「見ないで」「部屋、狭いから仕方がないだろう」「芸能人でお金もあるんだから引っ越ししたらいいじゃない」「結婚する時……だな」その言葉にドキッとしたが、平然を装った。私と……ということじゃない。一般的なことを言っているのだ。メイクを済ませると赤坂さんは立ち上がって近づいてくる。見下ろされると顔が熱くなった。「可愛い。またやりたくなる……」両頬を押さえつけたと思ったら、キスをされる。吸いつかれるような激しさ。顔が離れる。赤坂さんの唇に色がうつってしまった。「久実……愛してる」……ついつい私もって言いそうになった。「せっかく 口紅塗ったのに汚れちゃったじゃないですか」 私はティッシュで彼の唇を拭った。 すると 私の手首をつかんで動きを止めてまた さらに深くキスをしてきた。「……ちょっ……んっ」「久実、好きって言えよ」「……時間だから行かなきゃ」
久実sideふんわりとした意識の中、目を覚ますとまだ朝方だった。今日は休みだからゆっくり眠っていたい。布団が気持ちよくてまどろんでいると、肌寒い気がした。裸のままで眠っている!そうだった……。また、赤坂さんに抱かれてしまったのだ。逃げればいいのに……逃げられなかった。私の中で赤坂さんを消そうと何度も思ったけど、そんなこと無理なのかもしれない。すやすや眠っている赤坂さんを見届けて、ベッドから抜けようとするとギュッとつかまれた。「どこ行くつもりだ」「帰る」「………もう少しだけ。いいだろ」あまりにも切ない声で言うから、抵抗できずに黙ってしまう。強引なことを言ったり、無理矢理色々したりするのに、どうして私は赤坂さんのことがこんなにも好きなのだろう……。もう少しだけ、赤坂さんの腕の中に黙って過ごすことにした。太陽がすっかり昇り切った頃、ふたたび目が覚めた。隣に赤坂さんはいない。どこに行ってしまったのだろう。自分のスマホを見るとお母さんから着信が入っていた。「……ああ、心配させちゃった……」メールを打つ。『友達と呑みに行くことになって、そのまま泊まっちゃった』メッセージを送っておいた。家に帰ったら何を言われるだろう……。恐ろしい。「おう、起きてたのか」赤坂さんはシャワーを浴びていたらしい。上半身裸でタオルを首にかけたスタイルでこちらに向かってきた。あれ……昨日は一人じゃ入れないって言ってたのに。なんだ、一人で入れるじゃない。強引というか、甘え上手というのか。私はついつい赤坂さんに流されてしまう。そんな赤坂さんのことが好きなのだけど、このままじゃいけないと反省した。「今日、休みだろ?」「……うん」「じゃあ、大樹の家行こう」「は?」唐突すぎる提案に驚いてしまう。「暇だったらおいでって連絡来たんだ。美羽ちゃんも久実に会いたがってるようだぞ」美羽さんの名前を出されたら断りづらくなる。優しい顔でおいでと言ってくれたからだ。「でも……服とかそのままだし……」「そこら辺で買ってくればいいだろ」「そんな無駄遣いだよ」まだベッドの上にいる私の隣に腰をかけた。そして自然と肩に手を回してくる。「ちょっと……近づかないで」「なんで?」答えに困ってうつむくと赤坂さんは立ち上がってタンスを開けた。